20011129(thu.) 12903/X
ウィルスメールも届いたが、あがたさんの新譜「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」もようやく届いた。早速聴いてみる。ムム。これってマスタリングのせい!? なんだか音ワル〜。アレンジに携わったのでどうしても音のことばかり気になってしまうのだが、うむー、こりゃまいった。やはりマスタリングは無理してでも立ち会うべきだったかなあ。
アルバムは曲と曲の相互作用でなりたっているので、音の大きい曲の後に小さい曲があると、当然後者はショボく聴こえてしまう。複数のアレンジャーが携わったオムニバスアルバムはちょっとした戦いの場で、マスタリングに行った者勝ちってところがあるのは事実。そりゃ、みんな自分の曲をよく聴かせたいに決まっているので、どうしても音量を上げ目にしてしまう。エンジニアは言われるままにコンプで突っ込む。当然、その場にいないアレンジャーの曲はおざなりにされて、結果、相対的に段々小さくなっていく。今回そうだったかどうかは、現場に行ってないので何とも言えないが、あきらかにオレが担当した「億光年〜」は音が小さい。というか他のがデカい。トホホ。
ほんで、それだけならまだしも、「億光年〜」はヴォーカルの線が細い。これは録音中から気付いていて、散々問題提起していたのだけど、誰も同意してくれないのでそのままになってしまっていた。アルバムを通して聴いてみたら、やっぱりそうじゃんかだった。あの時もっと強く仕切れればよかったのだが…。くそ〜、情けないプロデュース。あ〜あ。音量が小さい上に歌の線も細いので、この曲はあがたさんの歌の説得力が弱く、伝わりづらい(号泣)。ムネカタさんはMUSIC MAGAZINEで何かちょっと良い風に書いてくれていたけど、本当にこれで伝わるのかなあ…。
ああ、既に作品になったものにケチを付けるなんて、オレはなんてネガティブマンなのだろう。結局アレンジを含め自分にはあらゆる能力がないのである。
良いこともちょっとは書いておかないと…。
あがたさんの言葉遊びとあの独特の唱法で音楽に戯れるさまはライブに限らずCDでも健在で、「表現の自由」とは何たるかを絵に描いたようで、いや、音にしたようで瑞々しい。特にあがたさんの初の海外レコーディングになった久保田(麻琴)さんプロデュースものなど全体的にやはり新曲であればあるほど生き生き、伸び伸びしている感じ。あがたさんはいつどんな時もひとつ先のことを考えている。それが女性には憧れの的であり、仕事場では心ここにあらずでもある(だって、録音中も映画のこととか考えてて、おかげで歌い直してくれなかったんだもん。…あ、また愚痴になった。いかん!)。
言葉つかいあがたの一面を感じたエピソードとして、校正用のクレジット原稿がウチに送られてくる度に曲のタイトルが次々に変わっていったのにはびっくりした。最初はそれを見て「あれ、また別の曲になってる?」なんて思っていた。油絵で描きかけの絵を上から全部塗り直すような、素人目にはそんなインパクト。詞やメロディも当然ギリギリまで書きかえられる。本番でも書きかえられる(笑)。
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