20031101(sat.) 13605/X
京都の学園祭(京都造形芸術大学 瓜生山祭2003)に栗コーダーで出演。対バンは岸野雄一&フォルティ−タワーズやナタリーワイズなど。菊地(成孔)さんと社長(岸野雄一)の「音楽が伝え得るもの」という講義もすごく面白かったが、ここではフォルティータワーズのライブの感想をメインで書きたいと思う。
と、その前に最近ストックしていたメモの一部をここで紹介。
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自分がかっこいいと思うライブは、
まるで長編映画でも見ているかのようなライブ。
自分が関わるどんなライブにも基本的にはそれを求めている。
ステージでのMCはテレビのCMのようなもので、
つまりMCが多いライブは、
CMが挟まるテレビといっしょで、
がんばっても良質のテレビドラマ止まり。
MCがなく曲だけで構成されたライブは、
質はともかく、劇場映画の体裁を一応とっている、
と考えている。
自分はライブに映画を求めているわけだから、
当然CM(MC)は入れたくないし、
余分な映像(曲間)はトリミングしてほどよく編集したい。
テンポ感やトータリティのためには、
たとえ良いシーン(曲)であってもカットする。
テンポ感といえば、時間の流れ方にも留意したい。
例えば同じ15分間の映像でも、
ワンカットだけで出来た映像と、
数十個のカットで出来ている映像では、
当然だけど随分印象が違うし、
時間の流れ方も変わる。
同じように、ライブで大曲を1曲だけやるのと、
1分半の曲を10曲やるのとでは随分印象が違う。
良い映画はおおよそメリハリが効いている。
良いライブにもメリハリが必要だろう。
そんなこんなで映画のようなライブがやりたいのだけど、
今までほとんど出来たためしがない。
ただ出来たとしても、問題は、
ライブを見る人がそれほど名画を期待しているのかということだ。
テレビドラマの延長みたいな映画が人気だったりするのもまた事実。
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それで、フォルティータワーズの感想だけど、これがまさしく映画というか、ドラマというか、ま、ミュージカルというのが本当は一番近いのだけど、やー、素晴らしかった。
ヴァン・モリソンの「アストラル・ウィークス」みたいな、フジロックで言うフィールド・オブ・ヘブン系なライブアレンジ、そういうアシッド、ヒップな側面もありつつ、健全なミュージカルでもあるという、や、すごいです。泣き笑いがギュッと詰まったステージ。未だにちゃんと見たことのない渋さ知らズなんかにもそういう側面がありそうな気がするのだけど、社長のユニークな歌詞や、みんとりちゃん、宮崎さんらのドリーミーなソングライティングやら、もう全てがツボにはまって、やー、すっかり肩凝りが治っちゃったよ。
……
しかし、音楽評って難しいな。
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